2008年05月08日

細かいことだといわれるけれど…

 その細かいことが非常に大きかったりする。

 一般的には、CMでカッコイイと人気があるRon Carterの『It's Time』。

 実は、自分が聴くと、あちこち目が付いて、完全に欲求不満になるのでこのアルバムは入手していない。

 その中で良いナンバーがあったので、(WMAだったけど)仕入れた「Eddy theme」。

 ブルース色が濃いので、初めは、自身の感性を磨くのによいと思ってDLしてみたけれど、ベースで遊びたいロンじぃには、やはり、ピアノはハンコック兄ぃレベルじゃなきゃ厳しいね…。

 ピアノをハンコック兄ぃにメンバー入れ替えて再リリースしたら、欲しい一枚。

 これに、CM Verでは、drにアート・ブレイキーの親父さん入れたら、「そこの兄ちゃん、パーカッションしろや」に止まらず「お前らも付き合え」ということになり、『チェニジアの夜』ばりに、そりゃ凄いことになっただろう。

続きを読む
posted by crossover at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時には脳を休ませて…

 音楽の海の中で泳いでいる状態のままでいるのもいいかな…w。…などと思う。

 言わば、音楽の海の中で自身の内在している体内時計を見ながら、泳いでいくというもの。

 そうやっているうちに再生され再構築している機能が出てくるかもしれない。

 何てったって、生物の構造とはそんなものだから。

 人体のシステムでは睡眠で得られる現象がこれに当たる。
続きを読む
posted by crossover at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

それは、悲しい話。

 1930年代には、上手いのが溢れるほどゴロゴロいたわけで、相場は、1930〜50年代、ギリギリで60年代頃まで活躍していた演奏者。

 例えば、大御所の現在のメンバーのもので賞を取ったものを聴いても、当時に比べれば天と地の差がある。

 例えば、『Count Basie』(参考:「 カウント・ベイシー - Wikipedia」)もそうで、『Duke Ellington』(参考:「デューク・エリントン - Wikipedia」)もそうで、《黄金の全盛期時代》は、とかく凄い。

 Fats Wallerなんかは、映画の中でしか見たことがないから、30年代前後の実際の演奏を聴くと、そんなに上手かったのか、と、驚いてしまうほどだ。

 それは、JAZZがポピュラーだった頃と現在は違うから、生存競争が当時のように激しくない分だけ、というのもあるだろうけど、何といっても、JAZZはBluesなんかは特に躁鬱の結晶みたいなものだから、そのリズムも、トーンも、あの深みも、何度も血反吐を吐くような、辛い思いや、苦労しなきゃ、出ないところっていうのもある。

 それも、不条理に足で踏み潰されて生きなきゃならないような環境でなければ発生しない躁鬱の結晶だから、これが出来るっていうのは、それだけ、そんな思いをして生きてきたということになる。

 今の世代は、幸せすぎて、特有のあの性質は、絶えてしまったのかもしれない…。

 けれど、それはヒトにとっては、幸運な環境で生きてきたという現われの話なわけで、生み出す人材がいなくても、幸福な状態であることが良いに決まっているわけで、技術が発達しているから、今では、先人たちの残したものが聴ける。だから、物理的には、支障はない。

 しかし、気になる話…。ヒトは幸運な環境になるほど、野生の世界のように生存競争などで受ける選択圧がない環境で、自由に振舞うことが出来るようになるほど、何か大切なものを失っていっているような気がする。
posted by crossover at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なんだかなぁ…

 リサーチしているときに、JAZZ愛好家が増えたのがわかったので、何気なく調べて、リンクに追加してみた。

 DLで挙げていたところで嘆いていたら、休んでいる間に、いつの間にか、愛好家が増えていた。活動場所というのもあるらしい。

 けど、活動していたと当時、セクハラまともに受けての人間関係で嫌な思いをしてセミプロやめたんで、とても活動したいという気になれない。

 ま、お水の世界だからねぇ…。いろいろあるさ、って話で。(これ以上の話は、一気に、気が重くなりすぎるから省略。)


 とりあえず、DLサイトを挙げてみたけど、なんだかなぁ…。

 試しに挙げてみても、制作意欲は完全に下落中。

 これもすべては経験値から来るものであったりする。


 ただ、JAZZ愛好家が増えるとデータも入手しやすいので、それは幸運だと思う。
posted by crossover at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それはわがままかもしれないけど

 音楽についてだけは譲れないというものがある。

 Jazzが心の拠り所(避暑地)になっているというのも事実で、そんなときは、無意識にトーンとリズムの探索に、音楽の海の中で泳いでいる状態でいる。

 やっていることは、完全な非営利でコストを掛けながら追求していることあって、その意味では、稼がない分、わがままとは思う。(というのは、相場は、市場のシェアがないと思っていたが、今の段階でわからなくなってきた。だからといって、営利目的で考えると、いきなりやる気をなくしてしまうのは何故だろう?>苦笑)

 正直に言えば、営利目的で音楽をしたくない。それは、純粋にその世界を心行くまで探索して追及したいからだ。これもある意味、わがままだとは思う。

 それはSoulに関係していることだから、で、Soulに関係していることである場合、必ず非営利目的で活動している。それも、『生の根源』を追って探索しては何かを獲得しようとして追求しては、作品を制作しているんで、ある意味「神聖な聖域」とでも言うべきか、それを、目先の営利目的で歪を生みたくないし、欲望がらみに至ると良い結果にはならないからだ。

続きを読む
posted by crossover at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

Jazz は、奥が深い

 リサーチ上で、いろいろとSound Dataを聴いているが、結局、落ち着くところは、典型的なJazzに至る。

 普段は、世界レベルのスケールで、できるだけ良いものをチョイスしては聴いているから、必然的に良いものばかりで、体内時計の違いや物性の違いで自分には出来ないものもざらにあるからか、自分はこれでいいんじゃないかとも思うようになる。

 それは、既にそれで頑張っている人がいて、自分にないものを満たしてくれるからであり、それなら、自分が出来ることで自分にしか出来ないことをやってしまおう、と考えるからだ。

 少なくとも、頂点に立つことを望みとして音楽をやってきたわけではなかった。生まれ育った貧困家庭から生じたDV環境で、生きていくための心の拠り所としていたのが音楽だったからで、演奏することでも「生」を生み出すことが可能であることを、3歳ながらも『Tom & Jerrey』を見てとったからだった。

 突き詰めてみれば、それは生まれてから幼児期に見つけて以来、ずっと一つのものを追ってきたような気がする。気がつけば「Classic=神聖」で「Jazz=生」になっていた。それは相対的に位置するものと認識しているが、切っ掛けは『Tom & Jerry』である。気がついたのは、中学生の頃だったと思う。

 誰だったか忘れたが、「Jazz=生」そのものだと言っていたJazzの演奏家がいた。そのコメントを見たときには既にそうなっていたから、その意味が痛いほどわかったのを覚えている。
posted by crossover at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ごっつぁんです!

 と、聴けば、毎回、そう思ってしまう、『ウルトラマンjazz〜live〜 - 布川俊樹』。

 聴くたびに、アドレナリンを大量放出してしまう、この布川俊樹『ウルトラマンジャズ』プロジェクト。

 御馴染みのウルトラマンのナンバーがモダンジャズに、と見事に変身!(注:3分しかもたないということはない。最長演奏時間は、10分30秒)

 こういうのを聴くと「頭が上がりません」状態になる。

 まるでチャーリー・パーカーのプレイ初め当初の姿になるのは言うまでもない。


 というのは、スタンダードスタイルのものをそのまま演奏するのは、
本当は日本人にはスタンダードスタイルのsuwingや4beatものは非常に難しいもの。しかし、Jazzはスタイルが幅広いので、それでも、案外、容易といえる。なぜなら、そこは、「Chick Corea」スタイルのように応用が出来るのだから、考えようでは容易と言える。

 しかし、日本特有のリズムとトーンのナンバーをJazzのスタイルに置き換えるというのは、難解度が非常に高いわけで、いわば、美空ひばりさんの『柔』なんかをJazzのスタイルに置き換えるようなもの。

 ここまでやれるというのは、凄い。

 逆に、自分もここまで出来たらいいな、と思う。なぜかといえば、自身の国籍特有の要素というのは、音楽性においての個性のエッセンスになるからで、二番煎じじゃ、面白くない。そこに独自の個性がなければ魅力がないとも思う。少なくとも、リスナーの立場だとそんなものだと思うからだ。

 ここで、また、ちょっとした目標。


 あー。ごっつぁんです。
posted by crossover at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

究極なる話

 「高校時代に好んで聴いていたもの」「ルーツを探る…!?」「
体内時計を探る」と見てきたけれども、「自分らしさとは」でも自身の性質と言うものを知っているあたり、自分らしい独自のベースというのは「ボトムライン−トリオものを製作する場合」で取り上げたものが一番しっくりいくものであることはわかってはいた。

 しかし、Jazzを行う場合、一番目立つのがPianoであるので、DTMで製作する場合には、必然的にPianoの技術を高めなければならなくなる。

 本来は、ピアノとベースとドラムで一つのベースとなるラインが築けるのだが、聴いた感じでは、ピアノとベースは相対的な位置するらしく、ドラムが統計して締めている形をとって成しているように聴こえる。

 だから、ベースとなる型は決まっていても、ピアノの場合は特に、発想転換のパターンをいくつも持っていなければ行き詰まってくるものであるし、ラインに従って対応するようにしなければらなないが、何といっても、ピアノといえば音数が多いだけあって、パターンが多く存在するから、ピアノだけでもパーツのパターンをいくつも作るには、非常に時間が掛かる。

 基本的には、「Red Garland(p) - Poul Chambers(b) - Arthur Taylor(dr)」のユニットをベースとしたサウンドが一番しっくりと行くもので、自己のベストにあたる。

 しかし、Jazzは常に環境に対応しながら進化しつづけなければならないジャンルのものであるので、先人が築き上げたもののまま甘んじるわけにも行かない。何故なら、それがJazzの性質だからであり、それがJazzの演奏者が背負わなければならない運命だからだ。


 究極なる話、突き詰めていけば、発想転換の天才である「Chick Corea」と環境に対応する能力の天才である「Herbie Hancock」を併せ持つことが必須だと考えている。

 逆に言えば、究極なるレベルを求めてしまえば、どちらが掛けてもいけないもので、Pianoには必須となる要素だと考えている。

 しかし、そうやって計算して解を求めるのは簡単だが、実際にそれを実現するのは、とんでもなく難しいことである。

続きを読む
posted by crossover at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月30日

体内時計を探る

 目標をたてるにしても、自身の音楽性を良く知るにも、向上させるにも、新たに開拓するにも、自身の体内時計がどんなものか知る必要がある。

 自身の場合、マクロ・スケールでは、感覚的なものでいえば、Jazzが最もわかりやすい。

 何故なら、好んで聴いているものがJazzの要素が必ず内在してあるもので、Jazzが底辺になっているものばかり好んで聴いてきたからで、いまだにそのスタイルは何一つ変わっていないからである。

 しかし、あくまでも感覚的にざっとやってしまうのがJazzであって、即興が主としたスタイルで楽曲を元に自分なりのものをやってしまうのだから、本当に感覚的なものであって、実質上では非常に漠然としたものとなる。

 サウンドを聴く立場になれば、心地よいと感じられる体内時計に合うものを探せばよいから、リサーチする上で情報が入手できる環境であるなら、これは容易である。しかし、実際に自身がそれを実現しようとすると非常に難しいものとなる。

 殆ど地をさらけ出してやってしまうようなものがJazzであるので、例えば、自身を向上させる場合には、新たに畑を作って耕していく過程を踏まなければならないので、まず土台から作るしかない。このことから、いざ、それをやろうとすれば、時間がその分かかるだけ、非常に苦労するものとなる。

 また、Jazzといえば、体内時計がどうかで運命を大きく左右する。そういうわけで、音のノートの性質の研究の他に体内時計のリズムについて研究する必要が出てくる。

続きを読む
posted by crossover at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ルーツを探る…!?

 昨夜捏ねていた「高校時代に好んで聴いていたもの」より。

 青少年期に好んで聴いていたものを軸に、子供の頃から好んでいたものや、社会人になって好んでいたものを探っていくと、その底辺にはJazzのスケールであり、黒人音楽特有のbluesがあるかどうかで選別されており、嗜好を左右しているものが体内時計と一致しているかどうかにあったことがわかる。

 現在、米国ではある牧師が演説で選挙に関する発言において「有色人種」や「ブラック(黒人)」などの人権差別的な発言をしたことについて社会問題となっているが、そんなのは見た目の話であって、どうでもよい話。

 自身の場合、Classicをいくら遡っても、それは古典物理学と同じく限りがあり、静止性といったスケール上で、可視で可能な状態から理論展開されているだけのものであって、勿論、グローバルなチャイコフスキーなどすばらしい音楽家はいるけれど、もっと上を行って、ラフマニノフとなれば、それは高度になってアインシュタインの一般相対性理論の予言のような複雑な展開になるけれども難しすぎる。専門的な音楽理論を学んでいないだけ理解が難しい。しかし触れることによって物性や性質を理解することは出来る。

 けれど、本当はもっと単純であるはずで、もっと原理的なものだと思う。むしろ、ガリレイ・ガリレオのような理論展開が必要だと考える。

 ClassicやJazzなどの枠を超え、音楽の世界の真髄を探るには、やはり、内在している体内時計や生物進化上の遺伝子を遡るしかないから、それに至る話。

 自分にとっては、Classicでは物足りないから、Jazzに至り、やがてはWorld Musicに至る。極限までたどれば、黒人が生み出したものになる。

 生物学においては、人類のルーツはアフリカで生息していた一人のゲノム・イブから成ると考えられているが、これは本当なのかもしれない。

続きを読む
posted by crossover at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り留めのない戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。